#ぴろーとーく。作品集『いぬ。』
「漫画に描いたことは、封印できるというお呪い。」
「漫画に描いたことは、封印できるというお呪い。」
物語を創ることと、それを語ることって、ちょっと呪術的だと思っている。
自分にしかない体験を、世界共通の言語に翻訳して、広く伝えること。そしてそれが「みんなにとっての体験」になる。そういうところから、物語って生まれたんじゃないかしら?そんなことを勝手に考えている。
いきなり気持ちの悪いことを書いたけど、私の作品を読んだって、別に呪われたりしないから安心してね。
でも、「物語」って本当にそれぐらいパワーのあるものだと思っている。
それに救われてきたこともあるし、逆に苦しめられてもきたから、なかなか恐ろしい。私がそれだけの力のあるものを創れているかはわからないけど。
私はいつも自作について、「私と同一視しないで。そこは分けて考えて」ということを言っている。
けれど、この作品集に収録の2作に関しては、はっきり「自分の体験を語る」ために描きたかった。もう少し詳しく言うと、「私の視点だけで構成した物語」にしたかった。
私は、ほとんどの作品を実体験をもとに描いている。
だけど、それって「私はこういう体験をしました。私はこう思いました。」ということを、そのまま伝えたいから描いてるわけじゃない。むしろ、自分の体験について「疑い」を持った時にこそ、作品の種が生まれたりする。
「私はこう思ったけど、それって他の人から見たらどう見えるんだろう?」
そういうことが気になった時に、色んな視点から同じできごとを掘り下げる。そうすると、新たな問いが見えてくる。そこから物語ができてくる。
だから、自己演出的なものじゃなくて、自己理解と自己解体のために作品を描いてるんだと思う。
もちろん、検証したからって、それが「正しい形」として作品になってるかどうかはわからない。だって、色んな角度から掘ったところで、その角度は全部「私」が決めてるから。
でも、この作品集に関しては、あえてその「検証」をしなかった。
だから、私の「印象」でしか物語を創ってない。
そうしたかったのは、最初に書いたとおり「封印」したかったから。
検証しちゃったら、記憶の中で捉えどころなく漂っている「よくわからないものたち」が、しっかりした形を持ってしまうから。
「曖昧なものを曖昧なまま置いておく。」
私にとって、1番苦手なことをやりたかった。
成功したかどうかはわからない。でも、そうしたかった。どうしても。
収録作の『ぐいちっ!!』というタイトルは、関西の方言で「食い違い」のような意味の言葉から。
すれ違いのコミュニケーションについて、私はいつも答えを探したくなる。作中でAIに相談する場面があるけれど、それも「曖昧さ」の答えをもらえるような気がするから。
ぐるぐる思考の対処法として、「できごとと感情をわけて考える」というのがある。
「その時何が起こっていたのか」は、絶対に答えが見つからない問いだけど、「その時私は何を感じたか」ということには答えられる。だから、自分がその感情を持ったことを、自分で認めてあげれば楽になる。そういうことだと解釈している。
私は長い間、それを認めてはいけないような気がしていた。だって、「素直になる」って、結構恥ずかしいじゃないか。まあ、そんな単純な話でもないんだけどさ。
だけど、これはもうこれでいい。
ここに描いたできごとはもう、私が物語に封印して、人たちに伝えちゃったから。
だからこれは、「あったこと」なんです。
なんてことを、こんなオープンな場所で言ってしまっていいんだろうか。あえて、この作品集には「あとがき」つけなかったのに…。
「漫画が描ける」って、ちょっとお得なんです。だって、お呪いが使えるから。
だから、みんな漫画描いたらいいのにな。
そんなことを考えました。
(2026/06/15)
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作品情報
作品集『いぬ。』(2026年4月発行)
【収録作品】
『ぐいちっ!!』(2025年)16ページ
『別離。』(2026年)16ページ
実体験の記憶と、当時のメモや日記をもとに
「記憶の曖昧さ、抽象化、夢、分かり合えなさ」
を表現した2作品を収録。



